2014年10月25日土曜日

オーストラリアの人のおもてなし

10/18、
朝のビュッフェをたらふく食べて、出発。
外でこどもがいたので記念に写真をとってもらう。こんなところに50ドルで泊まれたのは奇跡と思えた。
朝ご飯

ホテル前












9時頃出発し、いよいよ両脇には何も無い一本の道が出てきた。
大陸横断といったらだれもが想像する景色をやっと見れたのだ。朝ご飯をたべすぎて少し気持ち悪くなったが、そんな気持ちを忘れさせてくれるくらい最初は感動した。

50キロ程進んだところにNorthamという6000人の街まであと五キロという標識がでてきた。ホテルを出発してから何も街が無かったため何か嬉しかった。



下り坂を勢いよく下っていた所に事件が起きる。

救助してくれた現地の人
気付いたら道路の横にある砂利道を走っており、ハンドルを切り返そうとしてもできない。遂には転倒して100メートル先まで吹っ飛んでしまったのだ。

飛ぶ方向を間違えれば一瞬で死ぬ所であった。本当に危険だ。
しかし、車がみんな通り過ぎると思えば、それは間違いだった。
必死にもがき自転車から抜けようとする哀れな僕をみて何人かが救出してくれた。
おまけには消毒してくれて絆創膏もくれた。日本ではこんなことがありえるだろうかと思うくらい現地の人の心の温かさを感じた午前中であった。

お昼ごはんは街の公園でコンフレークとコーラを摂取した。
次の目指す街まであと50キロ。重い身体をなんとか運びながら、高速道路へと戻る。

しかし、1キロ走った頃だろうか。いきなり雷が落ちてきた。
こわれた自転車
そして雲を見上げると動いてないことが分かり、徐々に雷が近づいてくる。急いで近くの屋根のある掲示板に避難したが、携帯で雷の対処法を調べていくと危険な事が判明。



嵐の中5キロはなれた街に避難しようとした瞬間、自転車の後輪に装備してあるキャリアが崩壊し荷物が全部バラバラに。。

絶望的だ。。。。



もう雷に打たれるしかないのかと思った矢先に、救世主現れる。
おばちゃんだ。

救世主のおばちゃん

とりあえず、荷物を自動車で運んでもらい、街までの道のりの最初のサービスステーションで待ち合わせることになったが嵐の中で自転車を時速40キロで走っていると転倒した事件がよみがえる。さらに雨で滑る道路は本当に危険だ。しかし、人というのは窮地に立たされると凄まじい集中力を発揮するのか、午前中の状態だったら転倒しているところを切り抜けて脱出したのである。


無事におばちゃんと合流し隣のマックでお茶をする。
なんとこの人、1人で車でオーストラリアを横断しているのである。なんとエネルギッシュな人なのか。日本では考えられない様なことにただただ感動していた。



ここで寝ることになった
おばちゃんの助言で近くのCaravan Park (キャンピングカーやテントを張って寝る事ができる場所)で泊まることにした。次の日は一日中嵐ということで、吹きさらしの小屋に寝袋で寝ることにしたのである。

明日もここで寝袋生活かと思うと気が遠くなる。

そんなネガティブな気持ちでいた自分を救ってくれたおじさんが現れた。


パスタを作り食べ終えた所に、ぽつんと現れたのである。
おそらく、2人分の食事をもっているということはキャンピングかーで奥さんと旅をしているのだろう。横で2つのステーキを焼いているのをみて思わずよだれを垂らしてしまった。そういえばオーストラリアに来て肉らしいものを食べていない。そう思ってるうちに調理してどこか消えてしまった。



おじさんがつくってくれた夕食
お風呂に入り、雨に打たれたこともありスープを飲んでいると、さっきのおじさんがまた現れた。ご飯を作ってきてくれたのだ。『お腹がすいてるだろ?』インスタント料理じゃ力がでないよと言って渡してくれた。見ず知らずのアジアの旅人にわざわざ料理を振る舞ってくれたことに感動していた。


それからご飯を食べながらおじさんと話しているとこの人もどうやらオーストラリア横断?一周しているらしい。果たしてオーストラリア人の老後はキャンピングカーで旅をすることが定番なのか不思議だった。


満腹になり、10度を切る外で寝袋にくるまりながら就寝。




朝おきるとまたおじさんが現れた。
今度は、トーストとコーヒーを持ってきてくれた。

この人はいったい何者なんだ。
まるで実家にいるように、自然と出てくるごはん。『夜も作るから楽しみにしておきなさい』といわれなぜか期待してしまう自分。昨日の夜ご飯から意外にこのおじさんのつくる料理がおいしいのだ。それも、オーストラリアは欧米と食生活がにているんだろうな、だからやさいなんかたべないんだろうなという、偏見が覆される程、野菜たっぷりの料理が出てくる。

食べ終えて、おじさんもキャンピングカーに戻り二度寝を開始。地面に寝袋で寝るのは初めての経験だったため疲れが取れない上にクビが痛い。


おもてなしが日本人並みにすごいおじちゃん
雨が昼間でさえも止まず、この旅3度目のパスタ。イカスミを選ぶことに。
味は期待を裏切らず美味しい。ゆっくりと紅茶を飲みぼーっとしていた。


そこにまた、食事を持って現れる、おじさん。
昼はさすがにもってこないだろうと思っていたので驚いた。一応この旅ではダイエットがメインなのでこんなにもたべていいものかと思いつつ頬張る。

この後どうやらスーパーに買い出しにつれてってくれるらしい。
どこまで優しいのかこのおじさんは。。。。


買い出しから戻り、夕食の時間が来た。
どうやらおじさんのキャンピングカーで食べるらしい。

ようやく奥さんと対面の時。
ずっと良くしてもらったのでいい奥さんなのだろうと思っていた。その通りだった。
おじさん夫婦との最後の晩餐

ご飯の前にビールワインが出てきてこれまでの旅のことをひたすら聞かれた。疲れがたまっていたため、かつオーストラリアでは初めてのお酒もありよいが回るのが早かった。それでも面接官みたいに突っ込んでくる奥さん。とても面白い話も聞けたので、こういう出会いが旅の面白い所なんだなとしみじみと思った。




すばらしい晩餐とお話
気付いたら16時から22時までキャンピングカーで食べながら飲みながら、僕自身の事、オーストラリアの治安、アボリジニー、教育について幅広く聞く事ができた。印象的だったのは、『アボリジニーはアルコール中毒であり気をつけること』と言われたことだった。どうやら普通の街にもいるらしく、彼らは政府の助成金で暮らしているため働かず昼間から飲んでいて暴れる事も多々あるらしい。もちろんそうでないアボリジニーもいるらしいが。とりあえず夜は街をうろうろすることが危険ということも分かり良かった。日本みたいな場所ではないと再確認できた。



とうとう、出発の朝がきた。
お世話になった老夫婦には朝ごはんまで作ってもらい、見送ってもらった。最後は感動して涙がでるのかと思いきや旅の進行状況が遅いため焦りにかられていた。しかし、もうこんな優しい老夫婦には出会わないだろうと思い、記念撮影して出発。ナラボーの入り口に着いたらメールします!!








ナラボー平原まであと、600キロ。
体重71.8kg(出発前73kg)


2014年10月19日日曜日

いよいよオーストラリア横断開始!!

遂に、10月15日成田を出発。
5500キロオーストラリア横断ダイエットの旅が始まったわけです。

旅がはじまる一週間前は、東北ツーリング、100キロマラソンがあったことで痩せてしまい、デブ活をしていたのです。



なんと見事に4キロも立派に増えて一安心。

横断の旅の個人的な目標は体重を激減させることなので笑

毎日4食くらいつづけてた気がする。


そうして、いざ成田を出発。
しっかりふくっらして安心



人生初の格安航空ジェットスターの海外便を使う。

格安航空は手荷物制限が非常に少なく、超過料金がものすごい当日とられると噂できいてはいたので、事前に40キロ分の手荷物を購入した。そのせいか、すんなり搭乗ができ、経由地点のメルボルンへ。

テレビも無く、ご飯も無い。さすがは格安航空。

がしかし、ここから面白いサービスが始まる。

なんとクレジットカード払いでいろんなサービスをうけられるのだ。

例えば、iPadを支給してテレビをみたり、
軽食、お酒をたのしんだり、
実際みてみるとなんだか、格安航空のビジネスモデルが実感できて、意外に乗客はばんばんクレジットカードで売上にみんな貢献している。おそるべしカード払い。


10時間後、メルボルンにつく。現地の朝1時。まわりは何も無い。

そして、早速トラブル発生。乗り継ぎのパース行きが器具の不具合のため欠航。
仮病でやすむ小学生みたいな理由だなと思いつつ、朝の5時までチェックインカウンターが開くのを待つ。

ようやく朝の5時に人が動き始める

運良く、オーストラリアのカンタス航空のチケットが取れて、パースに到着。
24時間かかった。。。。。眠い。


その日は、パースで観光したり、海いったり、自転車組み立てたりゆっくりしてみた。疲れは取れないまま出発になるはめになってしまったけど。


パース中心部から20分くらいのところにあるビーチ

パース駅











10月17日、朝8時起床。いよいよ出発の時だ。

これから野宿で生活すると思うと中々ベッドから抜け出せず、このままパースにいたいと思ったりする。

そんな気持ちで準備が終わり、、モチベーションをあげるためにホテルから5分くらいの自転車屋を訪問。

愛用している自転車メーカーGIANTのショップがあり気持ちが高ぶる

水を入れるボトルとペダルレバーを日本に忘れたため、購入。

すると店員のおじさんが、「シドニーにいくのか?俺はナラボー高原(約1700キロの砂漠)を4回も通ったことがあるんだ!Road Trainにはきをつけろよ!」

と話してくれた。自分がこれからシドニーに向かうとも言ってないのにこうも分かってしまうのか。それもそのはず、これだけの荷物を持って、自転車を使うということは横断するのだろうと現地の人は思っているのだ。

他の店員もオーストラリア一周だったり、ほとんどの人が長旅経験者。オーストラリア人てこんなにも働きながら旅ができる国なのかと、来年から社畜になる僕は羨ましい気持ちが少しだけあった笑

20分程の店員との会話でどこか勇気づけられようやく、旅のやる気が出てきた。

店を出て、地図を開いてまずはシドニーまで行くには避けて通れないナラボー平原を目指す。そして1番直線が長く、最短距離であろうルートを選択。

The Great East Southern Highway 94を通るのだ。約700キロ。
しかしここで、疑問が。。。高速道路???

日本縦断の際はバイパスですら自転車は通る事はできないのに、なぜオーストラリアは。。。

そんな不安を募りながらいざ出発。

パース市街

高速道路




















そう、いざ走ってみるとパース中心部から10分程で高速道路があ割られる。どうやらオーストラリアは無料で高速道路が乗れるらしくおまけに自転車も通行可能。

標識には100キロと書いてあり、真横にRoad Trainとよばれる長いトラックがものすごいスピードでとおる。時には、追い越された後の風で転倒しそうになるくらい迫力がすごかった。

この旅では、このトラックと終始隣り合わせになるとおもうと気が遠くなる笑

50キロパースからはしると、Perth Hillsという丘が現れる。しかし、これがまたひどく永遠に勾配な道が続く。さすがは海外表現が大した事の無い割には、実際の道は予想を超える。50キロの荷物を常備している自分にとっては自転車を押すのに精一杯だ。

パース中心部が見える程高い所まで着てしまった
車がおそらく100キロ以上飛ばしている横で自転車を押しているとたまにクランクションをならされる。最初は、邪魔なのかおれは笑と思いながらなるべく道路の隣の砂利道を歩いていたが、何かがおかしい。

クランクションをならした後に、叫んだり、反対車線からも声がする。

どうやら応援してくれているのだろう。それに気付きほんの一瞬の現地の人とのやりとりの積み重ねが折れそうな心を支えくれた。

それから30キロ走り、泊まるキャンプ地まであと2キロ。


日が暮れる前にテントが張れそうだ。そう思っていた瞬間に期待があっさりと裏切られた。

なんと、そこはリゾートホテルだったのだ。笑

立派な。プール、バー、レストラン、噴水など周りに何も無いはずの土地にこんなに豪勢な建物を久々に見て感動していた。その一方で、おかねが。。。

後一時間で日が沈み隣の街までは50キロ。。
泊まるしか手段は無い。。。宿泊費は135ドル(1ドル90円)

よし、血迷ったのかホテルの支配人を呼んでもらい値切りの交渉を開始。

自分『昨日日本からやってきて、今日シドニーまでの旅を始めたんだ。しかし、これから2ヶ月旅が長く、宿泊費にはお金が使えないんだ。どうか安くしてくれないか??』

一瞬間があいたが、ホテルの支配人は怒るそぶりも見せずにこういった、

『日本人か!すばらしいじゃないか!シドニーまでいくなんてクレイジーだ!それならわかったよ50ドルでどうだい?』

50ドルでも高いなとおもったが、自転車が置ける大きい部屋を貸してくれるというのだからそうしよう。と思い、泊まることにした。

かなり広い部屋。ベランダもついていてプールが目の前にある。

夜は、自炊でパスタを食らい、夜空の星を眺めながら、旅をしてよかったと思いに浸っていた。



しかし、この後思いも寄らぬできごとが立て続けに起こるのである。。。。。。



2014年10月12日日曜日

旅立ちまであと3日〜オーストラリア横断〜

大変久々のブログの更新です。

なんとオーストラリア出発まであと3日。
砂漠地帯である約1000キロにわたるナラボー平原のことが心配で毎日不安です。
サソリ、毒蛇の対処方法教えてる人いたら教えて下さい。

そして、最近準備を決してさぼってたわけではありません笑
ちゃんとオーストラリアに向けての準備をしていたんです笑



輪行(飛行機に乗せるための解体)のため家の近くにあるGIANT Storeさんにて解体の方法を教えてもらったり。



去年87.5キロくらいで無念のリタイアをした京丹後の100キロマラソンでリベンジを果たしたり。


奥多摩の途中でピーポー君とたわむれたり。


奥多摩の標高800mくらいにある都民の森という休憩場でテントが張れなかったり。(コンクリートにテント張れないの知らなかった。。。www)


奥多摩を眺めながら自炊したり。(パスタをゆでながらグリーンカレーを暖めている)


テント泊の朝は霧で道が見えず8度だったり。


テント泊のためにわざわざ東北まできたり。



冷静に自己分析してみると、
ついこないだの7月30日あたりに購入したばかりの自転車で3ヶ月後に横断という無謀なことをしようとしてるのだと、最近気付きました。笑

初心者なりにこの一ヶ月は体力面、自転車の知識、野宿ノウハウを必死にできるように練習していた訳です。

そして、勘違いを超える程のポジティブな考えの人なので、1回だけテントをはったり、自転車を段ボールに入れたり、これまで2000キロしか走行していないだけで大分自信がついてきました。

ただ、今日オーストラリアの地図が届き自信が一瞬にしてくだかれたのです笑



思ったよりも砂漠地帯であるナラボー平原(ピンクの横の線)の距離が長い。
オーストラリア横断の長さのうち、ぱっとみただけで3/5くらいは占めているのではないか。。。さらに、夏場を迎える南半球ではおそらく毒性の生物が冬眠?から覚めて地場に出てくるのではないかと不安が募り。

夢にテントで寝ていたら蛇にさされる夢までみるほどビビっています。


社会人になる前に死にたくないので、毒蛇、サソリ対策のご存知の方はこっそり教えて下さい。

ではでは。